我 けものなれど!
1945年 太平洋戦争末期 本土空襲がはじまる。
わずか2時間余で10万人余が死亡
あわや 本土決戦!地上戦?
こんな頃、山奥のちいさな集落での出来事である。
かやぶき屋根の小さなお堂に老人と女衆が集まった
若い男衆は皆、兵隊にとられていない。
山ひとつ越えたら松代大本営がある!
地上戦になったら激戦が予想される。
外国の兵隊が攻めてきたら 何処へ逃げるか・・・
初老の男が言った
「地上戦になって捕まれば 男は○たまを抜かれ
女はおもちゃにされてしまうぞ!」
女が言った
「どうしてそんな事・・・」
男が言った
「おれたちが戦争に行った時 やってきた・・・」
とりあえず 山陰の洞窟に隠れようという事になった。
これは、母親から聞いたほんとうにあった出来事である。
しばらくして、終戦となり心配したことは起こらなかった!
また、戦後 ある人から
戦争に行った時 敵の○たまを抜いてしまった・・・との
告白を聞いた事がある 決して手柄話などではなく
ぽつりぽつりと話して下さった。
死と隣あわせの極限状態のなかで人は野生に戻ってしまうのか?
おのれの種を残し、他の種を排するという本能かDNAの仕業か?
そういえば、「使徒の働き」に登場するエチオピヤの女王に使える
エチオピヤ人の宦官も去勢されていたという。
また、ある人は言った。
「戦争に行って 残虐行為をするのは真面目な人だよ」と
まるでくそ真面目なおいらに向かって言われた様な気がした。
戦争は純朴な青年をも けものにしてしまう。
戦後、戦争後遺症のような方々が居られたような気がする。
戦争は勝者、敗者の別なく人を傷つける!
聖書のことば(新改訳聖書より)
人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅び失せる獣に等しい。
(詩篇49:20)
私の心が苦しみ私の内なる思いが突き刺されたとき
私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。
しかし私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
あなたは、私をさとし導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。
天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。
地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。
この身とこの心とは尽き果てましょう。
しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。
(詩篇73:21~26)
私は心の中で人の子らについて言った。
「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」
(伝道者の書3:18)
イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。
「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。
外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。
人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」
(マルコの福音書7:14~15)
「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、
悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、
ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、
内側から出て、人を汚すのです。」
(マルコの福音書7:21~23)
最近、新聞にて 毎日楽しく読ませて頂いていた
死がまぢかにせまった親鸞の想いをこんなふうに表現されている。
「この自分は、十悪五逆の人非人(人であって人でない)なのだ。
だからこそ、一筋に他力を信じて生きてきたのだ。」
我 けものなれど・・・
内側から出て来るものは悪しきものでしかない・・・
ゆえに、キリストの十字架の贖罪愛に委ねるざるを得ない。
そして道であり、真理であり、命であるキリストという
ぶどうの木に接ぎ木された枝として生かさせて頂く。
ヨハネの福音書15章 (まことのぶどうの木)
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場(まきば)に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちと杖、それが私の慰めです。
(むちとは先端に鉄片が付き、狼などから羊を守る武器)
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯はあふれています。
まことに、私の命の日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。