四苦八苦する我を!
日常の中にあふれる仏教用語
普段なにげなく 使っていることばの中にある仏教用語を書いてみました。
挨拶 うろうろする 有頂天 ガタピシ くしゃみ 玄関
根性 出世 しょっちゅう 大丈夫 ドッコイショ ないしょ
人間 ばか 迷惑 もったいない 油断 律儀
こんな中に四苦八苦もあります。
(浄土宗HPより)
『四苦八苦』
合わせたもの。人生の苦の総称。
②転じて、非常な苦しみ。また、さんざん苦労すること。「弁解に ー する」
(広辞苑より)
生・老・病・死の根本的な四苦のほかに
愛別離苦(あいべつりく) 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく)怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく)求める物が得られないこと
思うままにならないこと
この四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ
色(しき) 身体、形あるもの
受(しゅ) 感覚、外からの刺激を受ける心の機能
想(そう) 想像、概念
行(ぎょう)意志判断をする心の作用
識(しき) 意識、状況判断をする心の機能
上記五つに執着する苦しみを五蘊盛苦と言う。
(Wikipedia,漢字源等参照)
この四苦八苦にどう対処するか
自力本願、他力本願と仏教各派はそれぞれである。
この世の旅路で四苦八苦していた おいらにキリストは言われた。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに
来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたも
わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイ11:28~30 新改訳聖書)
この世の四苦八苦という重荷に執着している我を
救い主であり、真の大祭司であるキリストにゆだねきった時
おいらの心にたましいにすごい平安が来たんだ!
「私たちはこの地上に永遠の都を持っているのではなく
むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
ですから、私たちはキリストを通して、
讃美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、
神に絶えずささげようではありませんか。」
(へブル13:14~15 新改訳聖書)
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって
神があなたがたに望んでおられることです。
御霊を消してはなりません。」
(Ⅰテサロニケ5:16~19 新改訳聖書)
キリストは四苦八苦という 重荷をも
讃美へとかえてくださる! ハレルヤ!
浄土宗の他力本願とキリストの救いはとてもよく似ています。
下記のURL(阿弥陀仏とキリスト)もご覧ください。