ハレルヤじじいの福音ブログ

ギターの好きなじじいです。

カントリロード替え歌ゴスペル ほんとうの故郷 字幕付き




 
歌詞の背景の聖書の箇所を字幕にして 見ました。


 人々はみな、・・・地上では旅人であり寄留者であることを告白して
いたのです。
 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めている
ことを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、
帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、
すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
                      (ヘブル11:13~15)新改訳聖書
 
 
私の祈りを聞いてください。主よ。
私の叫びを耳に入れてください。
私の涙に、黙っていないでください。
私はあなたとともにいる旅人で、
私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。
                 (詩篇39:12)新改訳聖書


私たちの国籍は天にあります。
            (ピリピ3:20)


 ※以下 歌詞背景の聖書引用箇所


ヨハネの黙示録21&22章より (聖なる都)

イメージ 4見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、
彼らはその民となる。
また、神ご自身がかれらとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。
なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。
 』

『御使いはまた、私に水晶のように光る命の水の川を見せた。
それは神と子羊との御座から出て
都の大通りの中央を流れていた。

川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、

 毎月実がなり、毎月、実ができた。 
またその木の葉は諸国の民をいやした。』

  
イメージ 2 ヨハネ福音書15章 (まことのぶどうの木)


  わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、
 実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。
 枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
 同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
たしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。

  
 ヨハネ福音書14章 (わたしが道である。)


あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、

 あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは
場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

イメージ 3わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
 
トマスはイエスに言った。
「主よ。どこへいらっしゃるのか、、わたしたちにはわかりません。
どうして、その道がわたしたちにわかりましょう。」

エスは彼に言われた。

 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです
わたしを通してでなければ、だれひとり父
のみもとに来ることはありません。」
 

ルカの福音書15章 (神は悔い改めた者を喜ばれる。迷った羊のたとえ


エスは彼らにこのようなたとえを話された。
 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの
一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を
見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びで

その羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、
『いなくなった羊を見つけましたから、いしょに喜んでください』と言うでしょう。
あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、

 悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。イメージ 1

 
詩篇23篇 (主はわが牧者なり)


主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。

あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
(むちは野獣を追い払うもので、先に金属がついていた。)
わたしの敵の前で、あなたはわたしのために食事をととのえ、
わたしの頭に油ををそそいでくださいます。私のさかずきは、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 


ルカの福音書15章 (放蕩息子のたとえ) リビングバイブルより
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 ある人に息子が二人いました。ある日、弟のほうが出し抜けに、
『お父さん。あなたが亡くなってからじゃなく 今すぐ財産の分け前が
ほしいんだけどな。だめですか』と言い出したのです。
それで父親は、二人にそれぞれ財産を分けてやりました。 もらう物をもらうと、
何日もたたないうちに、弟は荷物をまとめ、そそくさと遠い国に旅立ちました。
そこで放蕩に明け暮れ、全財産を使い果たしてしまいました。
一文無しになった時、その国に大ききんが起こり、食べるものにも事欠く有様でした。
それで田舎へ行って、農夫に頼み込み、畑で豚を飼う仕事をもらいました。あまりのひもじさに、豚のえさのいなご豆さえ食べたいほどでしたが、だれも食べ物をくれません。 
こんな毎日を送るうち、彼もやっと目が覚めました。

『あーあ、家なら雇い人にだって、あり余るほど食べ物があるだろうな・・・。
なのにおれときたら、なんてみじめなんだ。こんなとこで飢え死にしかけている。
そうだ。 家に帰ろう。 帰って、お父さんに頼もう。
【お父さん。すみませんでした。神様にも、お父さんにも、罪を犯してしまって・・・。
もう息子と呼ばれる資格はありません。どうか、雇い人として使ってください。】 』
決心がつくと、彼は父親のもとに帰って行きました。
ところが、家までは、まだ遠く離れていたというのに、
父親は息子の姿を、いち早く見つけたのです。
『あれが帰って来た。 かわいそうに、あんな、みすぼらしいなりで・・・。』
こう思うと、じっと待ってなどいられません。走り寄ってぎゅっと抱きしめ口づけしました。
『お父さん。ごめんなさいっ!ぼくは神様にも、お父さんにも、
取り返しのつかないことをしでかしました。もう息子と呼ばれる資格はありません・・・。』

ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。
『さあさあ、何をぼやぼやしている。一番よい服を出して、これに着せてやれ!
宝石のついた指輪を、くつもだ。  あっ、それから、肥えた子牛を料理して、
盛大な祝宴の用意も忘れんようにな。死んだものとあきらめていた息子が生き返り、
行方の知れなっかた息子が帰ってきたのだから。』

(神は悔い改めた者を喜ばれる。放蕩息子のたとえより)


zouazarasi さんのゴスペル演歌 心に沁みる『放蕩息子』
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