おいらのモットー
足は地につけ
たましいは岩なるキリストに!
わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、
何に似ているか、あなたがたに教えよう。
それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。
洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、
それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。
(ルカ 6:46~48 JBS口語訳聖書)
<土台をすえて>
キリストさまの言われる、行うべき言葉、土台なる言葉は何か?
如何に!
おいらはこれだ!と思うんだけど・・・
ひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』
これがいちばん大切な、いましめである。第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。
(マタイ22:35~40JBS口語訳)
<律法全体と預言者の書(ユダヤの呼び方)=旧約聖書>
これは、平たく言ったら39巻の旧約聖書をぎゅうと絞って煎じ詰めると、
この二つのいましめになると言うこと・・・
ルカの福音書には、これが出来たら永遠の命が得られる!とも書いてある。
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』
これが出来そうで出来ない!十字架刑を前に、ペテロは3回も
イエスなんか知らないっと言ってしまった・・・
その場にいたら、おいらだってペテロと同じだと思う。
これが出来るのは映画の中の寅さんとキリストさましか
いないと思う。 それじゃあ、どうすればいいんだ!
それは、この漢字の中に隠されている。 義
1950年代頃に、事業をされながら伝道し教会をたてあげた方がおられた。
その方が漢字と聖書の関わりを研究され、ついに辞典まで創られた。
それによると羊はキリストをさしている!と言う。
『見よ、世の罪を取り除く神の小羊。』(ヨハネ1:29新改訳)
キリストのことをバプテスマのヨハネはこう言った。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、(神の御前に)へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎがきます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』
(マタイ11:28~30新改訳)
義
羊(贖い主キリストのくびき、荷)を負う我・・・
羊(キリスト)の御前にへりくだる我・・・
羊(キリスト)と我がひとつになって父なる神の御前に義とされる・・・
心優しく、(神の御前に)へりくだっておられるキリストさまとひとつにされ
はじめてひとは、神を愛し、隣り人を自分と同じように
愛することができるのでは・・・
義の字を見ながら、おいらはいろんなことを考えた・・・
たましいは岩なるキリストに!
わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、
何に似ているか、あなたがたに教えよう。
それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。
洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、
それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。
(ルカ 6:46~48 JBS口語訳聖書)
<土台をすえて>
キリストさまの言われる、行うべき言葉、土台なる言葉は何か?
如何に!
おいらはこれだ!と思うんだけど・・・
ひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』
これがいちばん大切な、いましめである。第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。
(マタイ22:35~40JBS口語訳)
<律法全体と預言者の書(ユダヤの呼び方)=旧約聖書>
これは、平たく言ったら39巻の旧約聖書をぎゅうと絞って煎じ詰めると、
この二つのいましめになると言うこと・・・
ルカの福音書には、これが出来たら永遠の命が得られる!とも書いてある。
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』
これが出来そうで出来ない!十字架刑を前に、ペテロは3回も
イエスなんか知らないっと言ってしまった・・・
その場にいたら、おいらだってペテロと同じだと思う。
これが出来るのは映画の中の寅さんとキリストさましか
いないと思う。 それじゃあ、どうすればいいんだ!
それは、この漢字の中に隠されている。 義
1950年代頃に、事業をされながら伝道し教会をたてあげた方がおられた。
その方が漢字と聖書の関わりを研究され、ついに辞典まで創られた。
それによると羊はキリストをさしている!と言う。
『見よ、世の罪を取り除く神の小羊。』(ヨハネ1:29新改訳)
キリストのことをバプテスマのヨハネはこう言った。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、(神の御前に)へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎがきます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』
(マタイ11:28~30新改訳)
義
羊(贖い主キリストのくびき、荷)を負う我・・・
羊(キリスト)の御前にへりくだる我・・・
羊(キリスト)と我がひとつになって父なる神の御前に義とされる・・・
心優しく、(神の御前に)へりくだっておられるキリストさまとひとつにされ
はじめてひとは、神を愛し、隣り人を自分と同じように
愛することができるのでは・・・
義の字を見ながら、おいらはいろんなことを考えた・・・