ハレルヤじじいの福音ブログ

ギターの好きなじじいです。

たとえ運命環境がどうあろうと!

 
 おいらの尊敬する長老がおしゃった! たとえ、運命環境がどうあろうと
自分に絶望しようと 自死しちゃあいけない!
自死するんじゃあなくて 己に死にきるんだ!て
 
 我執を捨てるんだ!て


 どこへ捨てる?て
十字架のキリスト(救い主)さまのところさ!

そしたら、キリスト(救い主)さまが抱き起こして下さる!て

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そこから、その人のほんとうの人生が始まるんだ!て

みんな天下一品に作られているんだ!て


救いの道はもう完成してるんだ!て

そのことに、気が付けばいいんだ!て

聖書には、教えではなく 救いの道が門があることが
記されているんだ!て
 

 
   新約聖書のみことばより 以下抜粋(新改訳聖書
 
 
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたも
わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
(マタイの福音書11:28~30)
 

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 イエスはみなの者に言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、
日々自分の十字架を負い そしてわたしについて来なさい。」 
(ルカの福音書 9:23)  

キリストは罪を犯したことがなく、その口になんの偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、

正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、
今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。 
                    (ペテロの手紙第一 2:22~25)
 
彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。
そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
主はこころの打ち砕かれた者の近くにおられ、
たましいの砕かれた者を救われる。
詩篇34:17~18)
 
 
だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。イメージ 3
(マタイの福音書7:37~38)
 
 
 
しかし、愛するひとたち。あなたがたは、この一事を見落としては
いけません。 すなわち、主の御前では、

一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 
(ペテロ第二の手紙 3:8)