3&4『一粒の麦地に落ちて 多くの実を結ぶべし』
『我が友、我が兄弟』
甦れるイエス、此の生ける友を有てる人よ。君は彼を棄てる決心をなし得るか
彼を棄てやうと思うならば彼の復活を否定すれば充分である。
然らば君を彼に結ぶ鎖は直ちに断れるであらう。
その後で君は君自身の力にのみ頼りて神の前に立ち、
君自身の心の力で自分を救う迄である。それを願はしき運命と思ふか。
彼を有たざる人よ。君の心の中何処かに埋めねばならぬ空虚はないか。
もう一(ひと)努力されては如何であるか。生けるキリスト、全能の友、
若し如斯(このごと)きものにして存在するならば、そは、この世の生命の間、
死の窮局に際して、「有りて益なき物」(ナッシング)ではない。若し君の心に缺くる
ものありとせば、其れは將に生ける救い主との此の交わりではないであらうか。
如斯き交わりを作って御覧なさい。見えざる甦れる人の手をしっかり握って
御覧なさい。彼はトマスにさし出されしし如く君に手を延ばして居られる。
仮令(たとい) トマスと共に「我が主、我が神」と申し上ぐるを得なくとも、
『我が友、我が兄弟』と云って御覧なさい。
然らば君は前半生の苦痛多き夢より醒めて天の友
生けるキリストの腕に抱かれて居るに気がつくでせう。
然らば我等生くるも死ぬるもよいのである。