ハレルヤじじいの福音ブログ

ギターの好きなじじいです。

生きる極意! 信仰の極意!

4っの非ず

 

観念に非ず

御利益に非ず

パリサイに非ず

霊的傲慢に非ず

 

この言葉は 東大ドイツ語学科教授、獨協中高校長等をされた教育者であり

無教会のキリストの福音伝道者 小池辰雄氏の残された珠玉の極意である。

 

小池辰雄氏については、このブログのカテゴリー「おいらは今日も!無者修行」の

『一粒の麦 地に落ちて多くの実を結ぶべし』に書いてあります。

 

『苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。

私はそれであなたのおきてを学びました。』(詩篇119篇71節)

 

数々の試練を乗り越えられた小池氏は、もう一つの珠玉の言葉を遺しておられます。

 

『ゼロ=無限大』

 

 水泳をこよなく愛された小池氏は人が水に浮くには、体の力をぬき

水に体を委ねる事で泳ぐ事ができる。

 それと同じように、信仰も天地創造主なる父なるみ神に委ね祈るところに

キリストの福音の祝福が得られると!

 

『神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。

神が御霊を無限に与えられるからである。』ヨハネ福音書3章34節)

 

『私は山に向かって目を上げる。

私の助けは、どこから来るのだろうか。

私の助けは、天地を造られた主から来る。』

                            (詩篇121篇1,2節)

 

君こそは友

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この動画は藤村直樹さんの召天記念会に皆さんが集まって故人を偲びながら

歌われた歌だと思われます。

原曲はアメリカ民謡、訳詞は歌手の高石ともやさん

 

『悲しみ積んだ船は どこまで行くのか

 波にもまれ この世に 浮かぶ おいらは船だよ

 帰ろう 十字架に 造り主のもと

 船が 港に 休むように 十字架に帰ろう    』

 

このアメリカ民謡によく似た歌が聖歌にありますのでご覧ください。

 

 

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大和カルバリーチャペル 「アブラハム会」の皆さん

 

 

聖書のことば 詩篇107篇

『まことに主は渇いた たましいを満ち足らせ

 飢えた たましいを良いもので満たされた。』(9節)

『船に乗って海に出る者、大海であきないする者

彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。

主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。

彼らは天に上り、深みに下り そのたましいはみじめにも溶け去った。

彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。

この苦しみの時に、彼らが主に向かって叫ぶと

主は彼らを苦悩から連れ出された。

主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。

そして主は、彼らをその望む港に導かれた。』(23~30節)

 

 

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医師であり、歌手であった藤村直樹さんのお元気なころの動画です。

この中で聖書の中の、最期の審判についてふれています。

この中で自分は天国に行けるようなものではないと告白しておられますが

キリストこそ、藤村さんの友となり救いに導いて下さると私は信じます。

 

『君こそは友』歌詞

若い日は人生のきらめきも 悩みのうねり

でも君の笑顔と出会った時が すべての始まり

忘れないよ!何処へ行こうと 君が何処にいても

もし 友と言えるものがあるなら

それこそは 君

 

ついていない時も君は慰め 励ましてくれた

心砕けずにいられたのは 君がいたから

忘れないよ!何処へ行こうと 君が何処にいても

もし 友と言えるものがあるなら

それこそは 君

 

悩み多かった人生を 微笑み振り返る時

そこには何時も 君の笑顔がある

忘れないよ!何処へ行こうと 君が何処にいても

もし 友と言えるものがあるなら

それこそは 君

 

十字架で人類の贖いを完成され、三日後に甦り「平安があなたがたにあるように」と

言われ、多くの弟子たちの前に現れ天に昇られ、

助け主、慰め主なる聖霊(キリストの御霊)をこの世に遣わしてくださいました。

『求めよさらば与えられん』はこの聖霊さまの事であると

ルカの福音書11章9節から13節に書かれています。

この世の旅路を天国までキリストの御霊(みたま)なる聖霊さまが

あなたの私の友となり、導いてくださいます。

 

  ヘレンケラーの言葉

 神様という友人にたいして、子供のように信頼することは

ありとあらゆるところから、やってくる問題を解決してくれる。

 

 

私のブログの他の記事もご覧ください。下をクリックすると見れます。

What a friend 「いつくしみ深き」の物語 - ハレルヤじじいの福音ブログ (hateblo.jp)

 

 

   アーロン ジャクソンの素敵な讃美をお聴きください。

 

 

youtu.be

 

キリスト教徒とキリスト信徒の違い!

キリスト教という学問は西洋から中国に伝えられ、日本へはキリストは阿弥陀如来という偶像に変えられ、浄土宗としてその教えが伝えられている。もちろん十字架などない!キリスト教徒と言われる人々もキリスト教徒である前に、キリスト信徒であるべきであると私は思う!何故ならば、キリストの教えではなくキリストの福音こそ、伝えられるべきものであるからである。

最初に書かれたと言われているマルコの福音書の冒頭にはこう書かれている。

『神の子イエス・キリストの福音のはじめ。』

聖書は神学として研究され、教理として体系図蹴られ学校で教えられる。

しかし、聖書は頭で理解するものではなく共に日々歩んで下さるキリストの御霊、聖霊様を認め、砕けた低き心を持って信じて、委ねて、従う者こそキリスト信徒である。

キリストの神聖を人間の頭で考えるとじゃまになる。そこで出てきたのが

ユニテリアンでありエホバの証人なる観念信仰の人々である。

6世紀頃誕生したイスラム教徒も新旧聖書を学んでいるという、

しかし、キリストはただの預言者として!

イスラム教の過激派は旧約聖書の律法を重視する人々!

イスラム教のアラブの人々は女奴隷ハガルが産んだイシュマエルの子孫と言われている。旧約聖書創世記6章11~12にはこう書かれている。

 

『その子をイシュマエルと名づけなさい。

彼は野生のろばのような人となり

その手は、すべての人に逆らい

すべての人の手も、彼に逆らう

彼はすべての兄弟に、敵対して住もう』

 

キリストの福音の神髄とは

『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、

 知性を尽くしてあなたの神である主を愛せよ。』

『自分と同じように、あなたの隣人を愛せよ。』

                   (ルカ10:27)

 

キリストの福音とは

十字架で人類の贖いを成就され、人類への愛を体現され、

そして甦られた御子キリスト!

 

 

まばたきの詩人水野源三さんの作品より

 

キリストの愛に触れてみよ

 

幾度も聞いても読んでも

キリストの愛の尊さは

触れなければ分からないから

キリストの愛に触れてみよ

キリストの愛に触れてみよ

 

幾度も思い考えても

キリストの愛の確かさは

触れなければ分からないから

キリストの愛に触れてみよ

キリストの愛に触れてみよ

 

涙を流して感動しても

キリストの愛の嬉しさは

触れなければ分からないから

キリストの愛に触れてみよ

キリストの愛に触れてみよ

 

 

主は天から

主は天から人の子らを見おろして

神を尋ね求める、悟りのある者が

いるかどうかをご覧になった。

                        (詩篇14:2)

 

 

 

救いの道を開かれた主よ

 

 

救いの道を開かれた主よ

私をお遣わしください

創り主たる御神をば

知らない人々のもとへ

 

救いの道を開かれた主よ

わたしをお遣わしください

真の愛を知らないで

争う人々のもとへ

 

救いの道を開かれた主よ

私をお遣わしください

御神に立ち返る道を

求める人々のもとへ

             (詩 水野源三)

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我が国籍は天にあり!幕末から明治初期 日本の国造りに貢献されたフルベッキ宣教師

 

 『我が国籍は天にあり!』

 

 

 

 

フルベッキ写真 hashtag on Twitter

 長崎で欧米の文化、文明を教えたフルベッキ宣教師 

左右にいるのが岩倉具視の二男と三男

前に刀を抱えているのが長州藩に客人となっていた若き

明治天皇とされる人物

 

 

 22歳の時、土木、機械工学を身につけ オランダから

米国に移住 南部で仕事中にコレラに掛かり

九死に一生を得る!

この体験を機に

神と人に仕えるべく 神学校に入る

 

1859年明治元年より8年前!

オランダ改革派の宣教師として長崎に派遣される

 

明治政府に東京に招かれ、学制の起草

外交他の相談、指導などをした。

 

フルベッキ宣教師が欧米視察団構想を提言!

明治4年、岩倉使節団(107名)が派遣された。

この時、 米国には密航し、大学を卒業して神学校で学んでいる新島襄がいた。

新島は通訳者として雇われ休学し、欧米諸国に同行した。)

 

 

岩倉具視だけがちょんまげ姿! 遣欧使節の時の秘話 | ひすとりびあ

     岩倉具視欧米視察団

(先に米国に留学していた息子に、袴は外国人には馴染みがないから

洋装にした方が良いと言われ頭も散切りにした。)

f:id:fuutengg:20210221094421p:plain500円札でお馴染みのお方!

 

 訪問先から、岩倉が時代錯誤のキリシタン禁制の

高札を廃止するよう、電報をうち明治6年に廃止された!

 

 

 明治10年、全ての官職を退きフルベッキ宣教師は

宣教活動を始める。

日本に来てすでに18年が過ぎていた。

この時、フルベッキ宣教師は国籍を失効していた。

オランダには『5年以上在国しない者は国籍を除く』と

いう法があり米国は在留期間が短くて帰化出来なかった。

 日本の近代化の為、貢献されたフルベッキ宣教師!

明治政府は特別に彼と家族に永住権を与えた。

                          勝海舟がお世話をした。)

 

 

 帰化すべき、ほんとうの霊魂の故郷が

どこにあるかを知っていた彼はその時、こう言った!

 

    我が国籍は天にあり!

 

 十字架で人類の贖いを完成され、復活により人類に希望を与えて下さった方、

人としてこの世に来られた神、救い主イエス・キリスト

聖書のことば『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』

信ずる者に天地創造主なる父なるみ神との和解と天国への道を開いて下さった

御子、救い主イエス・キリスト

 

『ほんとに源ちゃんはパッと変わった❕』

『ほんとに源ちゃんはパッと変わった❕』

と! 弟妹が証言した。聖書のキリストの福音を信じ受け入れることでと!

『こんな美しい美しい朝に』いのちのことば社書かれていた。

しかし、それだけではない!聖霊バプテスマを受けたと私は確信する。

「その方は、あなたがたに聖霊バプテスマをお授けになります。」マルコの福音書1:8)

キリストの御霊、助け主、慰め主なる聖霊の愛と平安に包まれたと!

いくつかの作品の中から見てみたい。

『小さな小さな花』  

雪が消えた道端に そっと咲いた ルリ色の 小さな小さな花は

言葉では どうしても 言い表せない 神様の存在を 神様の愛を 言い表す

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  『包む』

雪がとけた 窓際の イヌフグリの花を 春の光が 優しく包む

枯れ木のような 私のからだを キリストの愛が キリストの愛が 温かく包む

 

  『暖める』

粉雪に 冷えた体を 暖めるのは ストーブたく部屋 白いゆげが立つ夕飯

冷えた心を 暖めるのは キリストの 変わらない愛

 

  『わが魂よ忘れたのか』

わが魂よ 忘れたのか わが魂よ 忘れたのか

あわれみ深い主イエスに はじめてお会いしたあの日を

わが魂よ 忘れたのか わが魂よ 忘れたのか

取るに足らぬ我を見つめ わが名呼びたるあの御声を

わが魂よ 忘れたのか わが魂よ 忘れたのか

悲しみに冷えた心が 喜びに燃えたあの時を 

わが魂よ 忘れたのか わが魂よ 忘れたのか

他では得られない まことの

愛と安らぎのある御もとを

 

私が源三さんが聖霊バプテスマを受けられたとなぜ確信するかと言うと

十年間引きこもりだった私も同じような体験をしたからである。

世の光のラジオ放送を聞いてちいさな聖書を頂いてあった。

その聖書の

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、

あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしからまなびなさい。

そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイの福音書11:28,29)

この箇所を読んだ時、氷ついていた心が魂が解かされる体験をした。

まさに、たましいがキリストの暖かな愛に包まれたのである。

 

NHKドキュメンタリー『二人の贖罪』で紹介されたデ・シェイザー宣教師もその著書

『わたしは日本の捕虜だった』(1949年)昭和24年発行 の中で、聖霊バプテスマ

受けたと書かれている。

「その時、愛の大きな流れが私の心に流れ込んできたことを覚えている。」

(二人の贖罪はこのブログに書いたのでご覧ください。)

下をクリック

私は日本の捕虜だった! - ハレルヤじじいの福音ブログ (hateblo.jp)

 

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。

たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、

捜す者は見つけ出し、たたく者はには開かれます。・・・・・・・・・・・

・・・天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

                                  ルカの福音書(11:9~13)

水野源三さんを助け 支えた人々!

水野源三さんを助け 支えた人々!

 

  母が営むパン屋に来た牧師!

源三さん12歳の時 パンを買いに来た宮尾牧師は奥に人の気配を感じ

源三さんのことを聞き 一冊の聖書を置いて行った。

これを機に杖を突きつつ 自らも障がいを背負う宮尾牧師は源三さんを

訪ねるようになった。やがてキリストの福音を信じるようになった。

暗く投げやりだった源三さんは劇的に変わったと家族は証言する。

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「源ちゃんはパッと変わった」「明るくなった」と!

 

  瞬きの詩人としての扉を開いたお父さん!

源三さん25歳の時 父の名で投稿した「庭すみの寒菊に雪降りかかる」の句が

読売新聞に入選した。これを機に 家族の協力を得て詩歌の勉強をし

 徐々に「百万人の福音」や「信徒の友」に 入選するようになった。

 

  主が源三さんのために 備えられた選びの器!

『こんな美しい朝に』いのちのことば社の23ページに

「母が心酔していた益田泉師を通じて、無教会の高橋三郎師の聖書集会のテープを

聴くようになった。」と書かれていた。

 

  益田泉という お方?

ネットで調べるうちに、二冊の著書を見つけた。

『祈る シベリヤ女囚』ともしび社

 

「クリスチャンシベリア女囚の手記『わたしの杯』いのちのことば社

 

 「昭和20年、中国の大連でソ連軍の進駐により敗戦を迎えた。占領工場存続の為、

技術者と共に通訳者として、4年間強請残留させられた。

昭和24年帰国出来ると思ったが、スパイ容疑をかけられ、逮捕され

極寒地シベリアで4年間耐えられ、昭和28年帰国された。」

帰国後、その壮絶な体験談を講演され、全国を回られた。

そんな中で源三さんのお母さんと出会われ、源三さんともお会いに

なったのでは・・・

 

『伝道の旅先からの絵ハガキを時折りくれし師も逝きにけり』

 

わたしのしの杯』の巻末に、1957年昭和32年無教会系の全国愛農会の講師として

招かれ、日本農村津々浦々にまで伝道されたとあるので、おそらくこの頃に

高橋三郎さんとの出会いがあったのでは?と思われる。

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