キリスト教徒とキリスト信徒の違い!
キリスト教という学問は西洋から中国に伝えられ、日本へはキリストは阿弥陀如来という偶像に変えられ、浄土宗としてその教えが伝えられている。もちろん十字架などない!キリスト教徒と言われる人々もキリスト教徒である前に、キリスト信徒であるべきであると私は思う!何故ならば、キリストの教えではなくキリストの福音こそ、伝えられるべきものであるからである。
最初に書かれたと言われているマルコの福音書の冒頭にはこう書かれている。
『神の子イエス・キリストの福音のはじめ。』
聖書は神学として研究され、教理として体系図蹴られ学校で教えられる。
しかし、聖書は頭で理解するものではなく共に日々歩んで下さるキリストの御霊、聖霊様を認め、砕けた低き心を持って信じて、委ねて、従う者こそキリスト信徒である。
キリストの神聖を人間の頭で考えるとじゃまになる。そこで出てきたのが
ユニテリアンでありエホバの証人なる観念信仰の人々である。
6世紀頃誕生したイスラム教徒も新旧聖書を学んでいるという、
しかし、キリストはただの預言者として!
イスラム教のアラブの人々は女奴隷ハガルが産んだイシュマエルの子孫と言われている。旧約聖書創世記6章11~12にはこう書かれている。
『その子をイシュマエルと名づけなさい。
彼は野生のろばのような人となり
その手は、すべての人に逆らい
すべての人の手も、彼に逆らう
彼はすべての兄弟に、敵対して住もう』
キリストの福音の神髄とは
『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、
知性を尽くしてあなたの神である主を愛せよ。』
『自分と同じように、あなたの隣人を愛せよ。』
(ルカ10:27)
キリストの福音とは
十字架で人類の贖いを成就され、人類への愛を体現され、
そして甦られた御子キリスト!
まばたきの詩人水野源三さんの作品より
キリストの愛に触れてみよ
幾度も聞いても読んでも
キリストの愛の尊さは
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ
キリストの愛に触れてみよ
幾度も思い考えても
キリストの愛の確かさは
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ
キリストの愛に触れてみよ
涙を流して感動しても
キリストの愛の嬉しさは
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ
キリストの愛に触れてみよ