ハレルヤじじいの福音ブログ

ギターの好きなじじいです。

父の命令が永遠のいのちであることを知っています。

神である主は、人に命じて仰せられた。

『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。

それを取って食べるその時、あなたは、必ず死ぬ。』

              (創世記 2章16~17節)

 その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木は

いかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、

いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

               (創世記 3章6節)

神である主は仰せられた。

『見よ。人はわれわれのひとりのようになり、

善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、

いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。

そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので

人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、

エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

               (創世記 3章22~24節)

アダムとエバカインとアベルが生まれ、

兄カインは土を耕す者となり、弟アベルは羊を飼う者となった。

ある時、カインは地の作物から主へのささげ物を持って来た。

また、アベルは羊の初子の中から、それも最良のものを

それも自分自身で、持って来た。

主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。

だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。

それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

主は、カインに仰せられた。

 

「なぜ、あなたは憤っているのか。あなたが正しく行なったのであれば、

受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、

罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋し慕っている。

だが、あなたは、それを治めるべきである。

 

しかし、カインは弟アベルに話しかけた。

「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、

カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。

                 (創世記 4章1~8節)

  

 あなたは、それを治めるべきである。

 

怒ることをやめ、憤りを捨てよ。

腹を立てるな。それはただ悪への道だ。

悪を行なう者は断ち切られる。

しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。

                 (詩篇 37章8~9)

 

モーセを通して天地創造主なる父なる神は律法を人類に与えて下さった。

旧約聖書キリスト者)=律法と予言の書(ユダヤ人)

(この律法を基に西洋諸国の法律が作られたという。)

 

 与えられた地上の日々を人はどう歩むべきかを示したのが律法!

 

 その中でも人類の指針とも言うべき十戒

 

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人のものを、欲しがってはならない。

                     (出エジプト記20章) 

 

 神の指で石の板に記された十戒は、三種の神器の一つとして契約の箱に収められ

幕屋と共に四十年間、イスラエルの民にかつがれ、荒野をさまよった。

 

やがて、乳と蜜の流れる豊かな地に導き入れられたイスラエルの民ではあるが

十二部族あった民はユダ族(ユダヤ人)だけになってしまった。

このユダ族から人としての救い主イエス・キリストはお生まれになった。

 

 十字架で天地創造主なる父なるみ神の愛を、体現されたキリスト!

数々の奇跡を行なったキリストが捕らえられ、弟子たちは逃げ惑い

十字架上のキリストにユダヤ人たちは、「キリストなら、そこから

降りてみろ!そしたら信じてやる!」とののしる。

最期に完了した。と言われた。これは、キリストの流された血によって

律法が成就されたと言う意味である。

そして、三日後、永遠へのいのちの希望を携え「平安があなたがたにあるように」と言って甦ったと聖書は記す! 四十日間、多くの弟子たちの前に現れ、天に昇り

十日後、「助け主、慰め主なるキリストのみ霊、聖霊を弟子たちに」賜った。

この聖霊を魂に宿すものをキリスト者という。

 

 永遠の命の木の実となられたキリスト!

最期の晩餐の時、パンを裂き、「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

また、杯を取り「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。

罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」

これは、キリストのいのちを、きよめられた魂に頂くという、霊的な比喩である。

また、「主は、ぶどうの木あなた方は枝である。つながっていれば、多くの実を

結ぶ」とも言われた。

 

父の命令は永遠のいのちです!

 

 

 

 

 

 

 

恵みを千代まで!

十戒

 

1.  あなたには、わたしのほかに、 ほかの神々があってはならない。

 

2.  あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。

それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には

父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

わたしを愛し、わたしの命令をまもる者には、恵みを千代にまで施すからである。

(ねたむ神の所以 聖書では、偶像礼拝をする者を姦淫する者と書かれています。)

 

3.  あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

 

4.  安息日を守って、これを聖なる日とせよ。

 

5.  あなたの父と母を敬え。

あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、

また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。

 

6.殺してはならない。

 

7.姦淫してはならない。

 

8.盗んではならない。

 

9.あなたの隣人に対し、偽証してはならない。

 

10.あなたの隣人のものを、ほしがってはならない。

                             (出エジプト20章、申命記5章)

 

このモーセ十戒をはじめ、モーセの律法の五書(創世記、出エジプト記レビ記

民数記申命記)には、事細かに様々な律法が書かれています。

 

過ぎ越しの祭りの起源

出エジプト記11章、12章にはこの過ぎ越しの祭りのことが記されています。

エジプトの奴隷だったイスラエルの民をエジプトの王様パロは難題を押し付け

出エジプトさせまいと策略します。そして、神はモーセ通してイスラエルの民に

過ぎ越しの祭りの指示を出します。

それは、1歳の羊かやぎをほふり、その血をかく家の2本の門柱とかもいにぬり

その夜はその肉を食べる。

 

『その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、

エジプトの地のすべての初子を打ち、またエジプトのすべての神々に

さばきを下そう。わたしは主である。

あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。

あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、

あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。

この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。

あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の おきて として

これを祝わなければならない。』出エジプト記 12章12~14節)

 

旧約聖書には創造主なる神に逆らい偶像礼拝をする、イスラエルの民の事が

多く記されています。12部族あったけれど、新約の時代にはユダ族(ユダヤ人)のみと

なります。イエスキリストはこのユダ族のダビデの家系から生まれます。

人であり、神であるイエスキリストは創造主なる神を体現されたかたです。

このイエスユダヤ人は十字架にかけて、殺してしまいます。

まさに、この時が代々守ってきた過ぎ越しの祭り最中でした。

前の晩、イエスと弟子たちは過ぎ越しの食事をします。この事を

レオナルドダヴィンチは最後の晩餐という 壁画で表現しています。

 

パンを取り感謝をささげてから、さいて、弟子たちに与えて言われた。

『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。

わたしを覚えてこれを行いなさい。』

食事の後、杯も同じようにして言われた。

『この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。』

                            (ルカの福音書 22章19~20)

バプテスマのヨハネはイエスのことを

『見よ、世の罪を取り除く、神の子羊』と言っています。

十字架で流されたイエスの血は、人類の滅びのわざわいを通り越させる、

新しい契約だったのです。

 十字架の時刻は神殿で過ぎ越しの祭りの子羊が屠られる時刻です。

 (過ぎ越しの祭りは十字架の予型です。)

 

アンパンマンとやなせたかしさんと イエスキリスト

やなせさんがキリスト者では?という記述が
ネットに多く見られる!
クリスチャンネームがバルトロマイであるとか
聖公会の信徒であるとか etc.

 カトリックの有名な司祭さんがやなせさんは
キリスト者であると書いておられる。
この司祭さんが『みんなでうたうクリスマス』という
こども向けのCDつきの歌の絵本を出され
絵をやなせさんが担当された。
山の上から大きな黄色い月が出て その月の中に
金髪の赤ちゃんの顔が大きく描かれている。
絵画の光輪を意識して描かれた表紙絵が素敵です。
この 絵本を一緒に制作された司祭さんが
言っておられるのだから???
でもわからない???
 
でも 
やなせさんは聖書を読んでおられた!
自伝の中で やなせさんは5歳の時父親が亡くなったと
書かれている。 その父の書斎に聖書があた。
父の面影を求めて聖書を読まれた!

 やなせさんはなぜ キリスト者では?といわれるのか!
それは聖書にアンパンマンの原型が書かれているのである!

 ヨハネ福音書6章26節~63節に
キリストこそ いのちのパンであると書かれている。
また、最期の晩餐の時パンをさき
『取って食べなさい。 これはわたしのからだです。』
また葡萄酒の杯を取り、感謝をささげて後、こう言って
彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。
これはわたしの契約の血です。罪を許すために
多くの人のために流されるものです。・・・』
これは、霊的な比喩であると書かれている。
十字架で私たちの罪を取りのぞき、復活された
キリストのいのちを我がうちに頂き 霊的に生かされ
永遠のいのちに導かれるのである。

アンパンマンは当初、幼児向けの絵本として
発売された。しかし、保育園や幼稚園の先生方には
悪評であった。自分の顔を食べさせるなんて!と
しかし、小さな子供たちに受け入れられた。
ある放送関係の方が園を訪ねた時、この絵本が
擦り切れ、ぼろぼろになるほど 子供たちに
読まれている事を知り、動画制作され
大人気となり、知らない人はいないほどになった。
 
やなせさんのお生い立ちと人となり
 母親は小学生の二人の兄弟を医者である
伯父(子供がなかった)に委ね、再婚してしまった。
母を恨む気持ちはなかったが、寂しい子供時代を
過ごされた。しかし、あの時代 芸大の前進である
美術学校を卒業されている。三越デパートに
デザイナーとして勤めたあと独立された。
しかし、漫画家としての代表作が無かった!
でも マルチタレントとして活躍された。
永六輔、宮城まりこ、手塚おさむ等に仕事を
依頼されたり NHKの漫画教室の講師もされた。

  てのひらを太陽に
 ぼくらはみんな生きている
 生きているから歌うんだ
 ぼくらはみんな生きている
 生きているからかなしいんだ
 てのひらを太陽に
 すかしてみれば
 まっかに流れる
 ぼくの血しお
 トンボだって
 かえるだって
 みつばちだって
 みんなみんな生きているだ
 ともだちなんだ
 
この作詞もやなせさん!
常に勇気と希望を子供たちに宣べ伝えたやなせさん!
奪いあうのでなく、与えあうことこそ平和につながると
言われていた やなせさん!

アンパンマンが自分の顔をちぎって弱った人に与えて
自分も弱ってしまうとジャムおじさんが新しい顔を
投げてくれる!復活し元気になるアンパンマン

父親の人となりを求めて父の聖書をやなせさんは
熟読されたとわたしは思う。

 わたしはいのちのパンである!といわれたキリスト!
スーパースターのキリストが十字架で弱々しく死んで
しまい、弟子たちはちりじりに逃げてしまった。
しかし、三日後に甦り『あなたがたに平安があるように』と
希望のことばを携え、弟子たちの前に現れた!
ここから新しい契約が始まった。
『わたしはブドウの木 あなたがたは枝である。』と
キリストはいわれた。
キリストのいのちを魂に宿す者、
キリストの御霊、聖霊を宿すものをキリスト信徒という。


 

ハレルヤおじさん

ハレルヤおじさん素敵な替え歌讃美ありがとう!
62曲もあるとのことですが
わたしの最近の愛唱歌

『あこがれのクリスチャン人生』
ガラテヤ 5:22~25「御霊の実」
演歌「あこがれのハワイ航路」替え歌
2番です。明るいメロディーのせて 仕事をしながら
讃美しています。

ハレルヤ  ハレルヤ
クリスチャン人生 御霊(みたま)の実です
愛と喜び      平安 寛容
親切 善意     誠実 柔和
ああー自制で   御国(みくに)に行ける

 
聖書のことば
いつも 喜んでいなさい
絶えず祈りなさい
すべての事について 感謝しなさい
これがキリスト・エスにあって 神があなたがたに
望んでおられることです
御霊を消してはなりません
                   (Ⅰテサロニケ5:16~19)

キリストの福音

 

キリストの福音は教えではない。
観念、概念ではない。
エスキリストという お方は
天地創造主なる父なる神を体現され
その 御救いを成就された お方である。

日本語訳の聖書の「教会」という訳も
あまり ふさわしくない。
英語ではチャーチ(神の家)
ギリシャ語ではエクレシア(集会)である。
宗教改革500年だというが、プロテスタント
教会も主を崇めることを忘れてはいないか?

牧師ということばもプロテスタント教会
造語では?
エペソ 4:11に「ある人を牧師また教師として
お立てになった・・・」とあるが
カトリックの聖書では「・・・教師としての
牧者を与えて下さいました。」とある。
牧師と解せないこともないが???
あくまで 牧者なのである!
 
 
旧約聖書 詩篇23篇(文語訳)
 
主はわたしの牧者であって
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に付させ
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で わたしの前に宴を設け
わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
 
旧約聖書でも 主が牧者(羊飼い)なのである
エペソ4:11は共同訳では 牧師を牧者と直してある‼
 
プロテスタント教会では牧師のことを
「先生」と呼ぶ慣習がある。ご丁寧に
「牧師先生」ということもある。しかし、
マタイの福音書23章には、
あなた方は「先生、師」と呼ばれては
ならないとキリストのことばがかいてある。
また、キリストは「あなたがた2~3人
私の名によって集まるところに私もいる。」と
言っておられる。 だとしたら教会にも
誠の先生であられるキリストはおられる。
その方をさしおいて牧師を先生などと
呼んでいたらキリストの御霊、聖霊さまの
居場所がないではないか!
主の御名をあがめ、讃美するところに
福音は拡がる!
キリスト信徒は口で告白し祈り救われた
「罪びとの頭なる我はキリストの十字架の
贖いによって救われた」と!
ことばは大事に使わないと!
主に栄光を帰さないと!
 

私は日本の捕虜だった!

真珠湾攻撃の報復攻撃隊 
ドーリトル爆撃隊爆撃手ディシェイザー物語
 
『私は日本の捕虜だった!』
 
ディシェイザーは 1912年(大正元年オレゴン州セイラムで生まれた。
彼の父は牧師のかたわら、農業をしていた。
彼が2歳の時、父が天に召される。
彼が5歳の時、母は継父と再婚した。
二人とも敬虔なクリスチャンだった。
 
 
 子供のころの彼は聖書の話を聞くのがすきだった。
しかし、ハイスクールの時、聖書は心理ではないという教師の
話を信じてしまった。それからの彼は悪の道に染まっていった。
学校は怠ける、煙草はのむ、手あたり次第物は盗む
やがて、警察に捕まってしまう。
父母の悲しみは如何許りであったか!
彼も反省して 以後は真面目になった。
様々な仕事を経験し やがて陸軍の航空隊に入隊する。
この陸軍時代に日本軍によるハワイの真珠湾奇襲があった。
 
 対日報復爆撃
この作戦が秘密裏に進められて行く!
特殊任務という事で募集があり、彼は志願する。
何処へ、目的さへ伏せられたまま訓練がはじまる。
家族にも 兵士達の居場所さえ 教えなかった。
B25爆撃機を積んだ航空母艦に乗り込み
出港しても目的地は暫らくの間 伏せられたままだった。
 
やがて、作戦の全容が告げられ 忙しい日々を過ごす。
 その作戦とは?
日本の飛行機が飛んで来れない距離(日本本土から約600㎞)の
所から離艦し 日本を攻撃し そのまま中国の蒋介石の支配地域に
着陸するという 片道燃料の厳しい作戦であった。
しかも、日本の哨戒漁船に戦隊が発見されたため
作戦は早められ日本から1200㎞地点から発艦した
ディシェイザーの乗ったB25は低空飛行で名古屋を攻撃した
爆撃手の彼は石油タンクめがけ爆弾を投下した。
攻撃後、夜に中国の海岸線に到着した。燃料はあと1時間!
霧が濃く、何処か分からない!1時間後街の灯かりが見えた。
無線で呼びかけるも応答はない!
旋回し飛行場の灯りを求めたが・・・ 中尉が『飛び降りろ』と叫んだ!
彼は2番目に下部の出口から飛び出した!
愛機が頭上を飛び去った!
落下傘の紐を引くと直ちに落下傘は開いた。
風はなく、真っ暗で、霧が深く、言い得ぬ寂しさを感じた。
 
(この時、米国の母も突然、空中を下へ、下へ、下へと落ちて行く
不思議な感じがして目が覚める。魂を圧するような 恐ろしい
苦しみに困り果て、神様に泣いて祈った。すると苦しみは消え
煩いのない眠りに漂い入ったと後日、証言して居られる。)
 
暗い中を降下し、突然地面に打ちつけられた。しかし・・・
そこは日本軍の支配地域であった。彼を含め皆、捕らえられた。
何名かは処刑され、残された者は(彼を含め)無期懲役となる。
それから、3年4ヶ月 捕虜となり獄中で過ごす!
ある時、飢えと寒さで仲間の一人が死亡する!
その後、待遇が幾分改善され、食事の量も増え、読み物も
与えられ その中に聖書もあり 彼も3週間読む事ができた。
彼は貪るように聖書を読み、旧約から新約まで読み通し
聖句を出来るだけ多く暗記した。
子供のころ学んだキリストの生涯の物語を
キリスト誕生より700年前に書かれた旧約聖書イザヤ書
予言している事に驚き、イザヤに神が書かせたと確信した。
 
 そこにはこう書かれている!

彼には私たちが見とれるよな姿もなく
輝きもなく
私たちが慕うような見ばえもない
彼はさげすまれ 人々からのけ者にされ
悲しみの人で病を知っていた
人が顔をそむけるほどさげすまれ
私たちも彼を尊ばなかった
まことに 彼は私たちの病を負い
私たちの痛みをになった
だが 私たちは思った
彼は罰せられ 神に打たれ 苦しめられたのだと
しかし 彼は
私たちのそむきの罪のために刺し通され
私たちの咎のために砕かれた
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし
彼の打ち傷によって私たちは癒された
私たちはみな 羊のようにさまよい
おのおの 自分かってな道に向かっていった
しかし 主は 私たちのすべての咎を
彼に負わせた
 
彼は痛めつけられたが
それを忍んで口を開かず
ほふり場に引かれて行く子羊のように
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように
彼は口を開かない
しいたげと さばきによって 彼は取り去られた
彼の時代の者で だれが思ったことだろう
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ
生ける者の地から絶たれたことを
    -中略ー
彼が自分のいのちを死に明け渡し
そむいた人たちとともに数えられたからである
彼は多くの人の罪を負い
そむいた人たちのためにとりなしをする
                (イザヤ書53章より抜粋)

 改 心
 
1944年(昭和19年)6月8日、ローマ書10章9節を彼は読んだ。
 
『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』
 
家から遠く離れた極限の獄舎で彼は救われた。
(飢えと寒さの氷つくような監房で)
彼は悔い改め、罪の赦しを神に祈り求めた。
 
『もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で
正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から
私たちをきよめてくださいます。』ヨハネの手紙第一 1章9節)
 
罪赦され、悔い改めた獄中の彼に神の愛が注がれた。
 
《私は聖霊バプテスマを受け、その時、愛の大きな流れが
私の心に流れこんできたことを覚えている。》と証言している。
 
 その後の彼は愛の人に変えられた。
 
ある日、看守が彼を監房に連れ戻す際、部屋の戸を開け
彼を押し込んだ、その戸に彼の足が挟まった、看守は
その素足を鋲の軍靴で蹴った、彼は戸を押し戻し
足を中に入れた。あまりの激痛に看守に対し
憤りと怨みがこみあげた。
その時、暗記した聖書の言葉が示された。
 
『なんじの敵を愛せよ』!
 
彼にとってこの言葉は受け入れ難かった。
しかし、つぎの朝、その看守に心を込めて
《おはようございます!》と挨拶すると
看守は戸惑った表情を見せた。
つぎの日も、つぎの日も心を込めて挨拶した。
やがて、二人は互いの兄弟のことを限られた言葉で
話した。その後、この看守はとても親切にしてくれるように
なり、怒鳴りつけたり、荒々しく扱ったりしなくなった。
ある日、戸の隙間から 甘くて美味しいふかし芋を
差し入れてくれた。又、時には魚のバタ揚げや飴玉をくれた。
それで、彼は《なんじの敵を愛せよ》という 神のみちが
最善のみちであることを確信した。
 


彼の学んだ教訓
 
『私が試みた敵のなかから友をつくる事は、困難ではない。
もし、試みるならば神の道は動きだす。イエス
《互いに相愛すべし》と語ったとき、行うべき最善の道を
示されたのである。このみちは、試みられる他の如何なる
みちよりも勝って成就する。しかし、人々は、やはり、
他のみちを試みては自分を混乱させている。』

 
南京の獄舎から北京の獄舎へ
 
 
1944年(昭和19年)のクリスマスの日
アメリカの急降下爆撃機が南京へ現れた。
射撃しながら屋根の上すれすれに飛ぶのが見えた。
日本軍が地上から応戦する音が聞こえた。
爆弾がさく裂するおとが聞こえ、黒煙が空に上っていった。
 
 次の年の6月、捕虜たちは汽車に乗せられ北に
40時間の北京に向かった。駅に着くとトラックで
北京の獄舎へ送られた。そこには何らかの罪を犯した
千人位の日本兵が服役していた。
捕虜たちはおのおの独房に収監され、以来外へ出て
運動する機会は与えられず、互いに顔を合わすのは
週1回の入浴の時だけとなった。
監房には5~6人の日本兵囚人が収容され、姿勢を崩さず
2時間正座させられ、その後は足を真っすぐに延ばし
背には何の支えもなく、座わらされた。
捕虜たちは幅6センチ、長さ12センチ、高さ24センチの
小さなベンチが与えられ、壁から1メートルのところに
壁に顔を向け腰かけているよう命ぜられた。
 
こんな中、1ケ月後 75もの悪質の腫物と赤痢
体が弱り痩せて2~3週間臥床した。
暗記していた聖書の言葉を何度も、何度も繰り返した。
天国へ行ったメーダー中尉に会える日も
遠くないようにさえ思えた。心臓が痛み始めた。
中尉が亡くなる前、心臓が痛むと言っていた。
彼は非常に弱っていたが床から起き、小さなベンチに
腰かけた、唯 癒し給えと祈りつつ!
このまま死ぬか、神が癒し給うか!
それまでは腰かけていようと決心して!
 まもなく、神の声が彼の想念の中に入って来た。
『汝に語るは聖霊である』と不可思議の声が言う。
聖霊は汝を解放せり』と
助け主、慰め主なる聖霊に彼は祈り助けを求めた。
彼は常に空腹であったが食べると病状が悪化する事が
度々あった。  そこで食事が戸口に運ばれる度に
祈り、「然り」であれば食べ、「否」であれば返した。
2日間食べることも飲むことも許されなかった。
大変体は弱ったが、病は去っていった。
 
 彼は戸口の前に跪き手を合わせ祈り始めた。
(これは獄舎の規則違反の行為である)
看守がベンチへ戻れと大声で怒鳴ったが
彼は動かなかった。まもなく、数人の看守と医師が
やって来た。医師が彼を抱き上げ畳に寝かせ
腕を捲り上げ注射をした。
食事の時になって彼は驚いた。
美味しいミルク、ゆで卵、上等のパン、滋養のあるスープ
彼は神に感謝した!
この時から解放の日まで滋養食を与えられ寝て休養した。

 
 8月10日の朝、目覚めると
 
「祈り始めよ」と告げる声が聞こえた。
 
「何を祈るのですか」と尋ねると
 
「平和の為に祈れ、やめずに祈れ」と告げられた。
 
彼は平和の為、また、日本の平和の為にも祈った。
午後2時、聖霊
 
「戦いは勝利に終わりたれば祈る必要なし」と語った。
 
この日は日本が連合軍に無条件降伏を
申入れした日である。

2~3日たって、窓から書類を焼く煙を見ていた時、
「戦争は勝利に終った」というニュースがあった。
勤務についていた看守たちは新しい服をつけている。
彼らは古い服を脱ぎ捨て給品庫へ押しかけていた。
 終わりがついに来たのだ!
彼は日本が受けるであろう大きな打撃について心配した。
 
この時、聖霊の声が明らかに語った。
『汝は召されたり、行きて日本人を教えよ
              汝の遣わされるところに行け!』
 
 やがて、米国の落下傘救出部隊によって
捕虜たちは解放され帰国した。

 
 召命を受けた彼は帰国後、神学校に学び
1948年12月14日船でサンフランシスコ港を
妻と愛児を伴い、爆弾ではなく聖書を持って出発した。
 

 彼の母の後日談
彼が日本軍の捕虜になったと知り、いつもこう祈っていた。
 
彼の命が保たれるように
魂が救われるように
何か役に立つ仕事に召し給えと
 
そして、この祈りは全て聞かれた!

 日本での宣教
 
元捕虜の敵を赦し、《互いに、相愛すべし》という
福音は多くの人に感動を与え、多くの魂が救われた。
そして、宣教会場で南京の獄舎で彼の足を蹴った
看守と再会した。
 聖書を読み、神の救いを受け愛の人に変えられた
ディシェイザーの変化を目撃した人である。
元看守は、聖書を読み学んでいると告白した。
 
この頃、ディシェイザー宣教師はマッカーサー
米世論に赦し会うことこそ偉大な勝利だと
東京裁判の死刑囚に慈愛を!と嘆願している。
 
 1年程するとデモなどが頻繁に起きるようになり
人々の求めも捕虜収容所の証より
「救われるとは?」と問われるようになって来た。
ディシェイザーは日本の救いの為、
40日間の水だけ飲む断食をした。
その間も宣教活動は休まず続けた。
 
その後に、真珠湾攻撃の総隊長
渕田美津雄との出会いがあるのである。
 
米国の宣教団体が
 『私は日本の捕虜でありました』というパンフレットを
印刷し、100万部余り配布していた。
このパンフレットを読み、聖書を読むようになり
救われたのが渕田美津雄である。
 
なんと アメイジンググレイス 不思議な出会いである!
 
 
 聖書のことば
 
怒ることをやめ 憤りを捨てよ
腹を立てるな それはただ悪への道だ
悪を行う者は断ち切られる
しかし主を待ち望む者 彼らは地を受け継ごう
                        (詩篇37:8~9)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

真珠湾攻撃総隊長 渕田美津雄 キリスト者となる

過日 NHKスペシャル

   ~憎しみの連鎖は«真珠湾≫から始まった~
 
                        しょくざい
       ふたりの贖罪
       日本とアメリカ 憎しみを越えて

が放送された。今は DVDで見ることができる。
 
淵田美津雄少佐は1941年(昭和16年)12月8日未明、
ハワイの真珠湾を360機の機動部隊を率い攻撃し
この時に太平洋戦争が始まった。
 
この攻撃に怒り 日本本土への初空襲に志願したのが
アメリカ陸軍のジェイコブ・ディシェイザーだった。
 
このふたりが後に運命的出会いをするのである。
 
アメリカの日本への初空襲は決死的作戦だった。
日本の飛行機が来れない距離から片道燃料で空母から
飛び立ち 中国の味方(蒋介石)の支配地域に
着陸するというもので ディシェイザーの飛行機は
名古屋に数百発の爆弾を投下し 中国に着いた
機体が故障していた為 パラシュートで降りたが
しかし、そこは日本軍の支配地で捕虜になってしまった。
 
拷問を受け 殴る 蹴るの虐待を受け 一年程した時
仲間の一人が栄養失調で死んでしまい
日本人が憎くて 憎くてたまらなかった。
憎しみが絶頂に達した頃 子供のころ聞いた 
エスキリストの愛について 思い巡らすようになった。
彼は無性に聖書を読みたくなった。
その日から彼は看守の顔さえ見れば 聖書をねだる
ようになったが なかなか実現しなかった。
 
求めよさらば与えられん
 
ある時 看守の一人が期限付きで英語の聖書を差し
入れてくれた。 むさぼるように彼は聖書を読んだ。
聖書のみ言葉が彼の心にたましいに染み込んできた。
 
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ
たましいの砕かれた者を救われる  
                       (詩篇34:18)

彼は救い主 イエスキリストを信じ 
天地創造主なる神を愛し
隣人を自分と同じように愛する』という
聖書が啓示する愛の人に変えられた。
 
この変化に 周りの人たちは気づいた。
反抗的で嫌がらせに スープにミミズを入れられるような
彼であったが 変化後には 暖かい焼き芋が
差し入れられた。
 
 
聖書を読み 祈るうち
彼はこんなことを祈るようになっていた
 
『この戦争が終わった時 御心ならば
私を宣教師として 日本に遣わして下さい。』と
 
『神は みこころのままに あなたがたのうちに
働いて志を立てさせ 事を行わせてくださるのです。』
                        (ピリピ人への手紙 2:13)
 
やがて 終戦となり 1945年(昭和20年)8月20日
アメリカの落下傘部隊が北京に降下し
彼は救い出され、帰国した。
 
1948年(昭和23年)12月14日 彼は
サンフランシスコ港から爆弾ではなく 
聖書を抱え 宣教師として妻と愛児と共に
日本へ向け 船で出発した。
 


 一方 終戦を向かえた日本で淵田美津雄は
連合軍を迎えるべく 働き始める。
マッカーサーが降り立つ予定の厚木基地には
徹底抗戦を主張する隊長が居座っていた。
これらを制圧し やがて マッカーサー
サングラスにパイプをくわえ タラップを降りてきた。
その厚木基地で淵田はマッカーサーを出迎えた。
 
戦後処理が始まり 東京裁判の証人として
淵田は奈良から 度々 呼び出された。
そんな中で 反証の材料を集めようと
アメリカの捕虜になって帰国した人々から
その時の待遇など 聞き取り調査をしていた。
様々な嫌がらせを受けたとの証言が多い中
ロッキー山脈のふもとの収容所にいた 手や足がない
重傷者の20人ほどの中のひとりが 嫌がらせはあったが 
それらを忘れさせる程の手厚い看護を受けたと
話してくれた。 彼らは手当てを受けながら 
義手や義足なども 作って貰っていた。
 
 終戦の半年前のことである。捕虜収容病院に
二十歳前後の米国人女性が現れ、親身も及ばない
看護を始めた。捕虜たちの身辺に不足しているものを
見つけると、翌朝には買い整えるサービスぶりであった。
時が経つうち、捕虜たちは心うたれ 彼女に問うた。
 
なぜ あなたは私達に、
こんなに親切にして下さるんですか?』と
 
なかなか、話さなかったが問い詰めるうち重い口を開いた。
 
『じつは私の両親が日本軍に殺されたからです。』と
びっくりし仔細を尋ねると・・・
 
(彼女の名はマーガレット・コヴェル)
 
彼女の両親は宣教師で日本にいたが国交が危うくなり
引揚勧告に従いマニラに移った。やがて日本軍のマニラ
占領となり、難を避け北ルソンの山中にかくれた。
日本軍にとっての戦況が悪化し、ゲリラにも悩まされ
日本軍は秩序の失われた敗残の軍隊となっていた。
こんな中でコヴェル宣教師夫妻の隠れ家が日本兵
見つかり、所持品の中に小型ラジオ受信機があり
これを小型秘密通信機を持ったスパイと判断され
二人はその場で処刑されてしまった。
処刑される前、二人は心を合わせて熱い祈りを
捧げていたという。これを目撃していた土民が
後にアメリカ軍がこの地を占領した時
この事を証言した。この仔細が本国にいた娘に知らされた。
マーガレットの悲しみは察するに余りある。
彼女は両親の最期の祈りを想ってみた。
両親はなんと祈ったのかと・・・
 
それは おそらく 自分を殺そうとする者のために
十字架のうえでイエスが祈られた あの祈り
 
「父よ。彼らをお赦(ゆる)し下さい。
彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
                           (ルカの福音書23:43)
 
この 十字架のキリストの愛を命がけで
宣教師として宣べ伝えていた両親!
 
祈るうち、マーガレットはあることに気付かされた
この町の捕虜病院に日本の負傷兵が収容されている事に!
敵をも愛するキリストの愛を宣べ伝えた両親の
遺志を継ぐべく、 さっそく、彼女は病院の許可をとり 
ソーシャルワーカーとして働き始める。
負傷捕虜を感動させた その献身的な奉仕の働きは
一日も休むことなく終戦まで続いた。
 
この話は 私の心を激しく打った。と淵田は述べている。
 
占領軍司令部に度々呼び出されていた淵田は
ある日、渋谷の駅前でアメリカ人から小冊子を手渡された
その表紙には写真入りで、こう書かれていた。
 
『私は日本の捕虜でありました。』
 
そこには、真珠湾奇襲に怒った若きアメリカ兵が
日本本土を爆撃し、中国の日本支配地で捕虜として
3年4ヶ月過ごし、戦後 宣教師として来日していた等
冒頭に記述した ディシェイザーの回心手記が記されていた。
この手記を読んで、淵田はで聖書を読んでみたくなり
買い求めたが忙しさにかまけて、あまり読まなかった。
ある日、宿舎で朝日新聞天声人語聖書ついて
書かれていたものを読んだ。
 
「聖書は世界のベストセラーといわれている。
人類の話すあらゆる国語に翻訳されている。
現代において、もし島流しの刑があると仮定して
島に流すにあたって、たった一冊だけ本を持って行くことを
許すとの判決であったとしたら、世界人たちは
その一冊を聖書に求めるだろう・・・。日本の皆様よ
まだ、一度も聖書を読んだことのない人がいらしゃいますなら
心を開いて三十頁だけでよいから読んで御覧なさい。
必ずあなたの心を打つものがあるでしょう。」
 
その日から淵田は熱心に聖書を読むようになった
やがて、ルカの福音書23:34のことばにであった。
そこには文語体でこう書かれてあった。
 
『かくてイエス言いたもふ、父よ、
彼らを赦し給え、その為す処を知らざればなり』

その時突然 淵田は気付かされた
この祈りこそマーガレットの両親の最期の祈りだったと!
そして、『彼らを赦し給え』の彼らの中に自分もいることを!
マーガレットは両親を殺された憎しみでなく
両親の最期の祈りを実践し、
キリストの十字架の愛を持って、負傷捕虜たちに
懸命に尽くした。その けなげなマーガレットの姿に
淵田の感激の涙が頬をつたった。
 
キリストの救いを受け、洗礼を受けた淵田は
憎しみの連鎖を断つ伝道を主に全米各地で
15年間余り精力的に行った。
 
淵田のアメリカ伝道の旅は八度
真珠湾は三度
国内や台湾、カナダ、欧州へも
 
回目の伝道旅行では全米47州、8万㎞以上、6ヶ月間
途中で車を一台更新、
町や村々の教会での講演は一日数回行った。
日程には休日らしい休日はなかった。
 
淵田氏をここまで駆り立てたのはなんであったのか?
おそらく、日本兵に殺されたマーガレットの両親
コヴェル宣教師夫妻の最期の祈りであり
マーガレットのけなげな、献身的な奉仕への感動であり
 
これこそ 憎しみの連鎖を断つ伝道の動機ではなかったのか。
 
 『怒ることをやめ、憤りを捨てよ。
 腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
 悪を行うものは断ち切られる。
 しかし、主を待ち望む者、
 彼らは地を受け継ごう。』
             詩篇37:8~9)
 
『柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
平和をつくる者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるから。』
                   (マタイの福音書 5:5,9)
 
参照
 
真珠湾攻撃総隊長の回想
   渕田美津雄自叙伝
   編/解説 中田整一      
 
詳細は上記の本をお読みください。