ハレルヤじじいの福音ブログ

ギターの好きなじじいです。

水野源三さんを助け 支えた人々!

水野源三さんを助け 支えた人々!

 

  母が営むパン屋に来た牧師!

源三さん12歳の時 パンを買いに来た宮尾牧師は奥に人の気配を感じ

源三さんのことを聞き 一冊の聖書を置いて行った。

これを機に杖を突きつつ 自らも障がいを背負う宮尾牧師は源三さんを

訪ねるようになった。やがてキリストの福音を信じるようになった。

暗く投げやりだった源三さんは劇的に変わったと家族は証言する。

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「源ちゃんはパッと変わった」「明るくなった」と!

 

  瞬きの詩人としての扉を開いたお父さん!

源三さん25歳の時 父の名で投稿した「庭すみの寒菊に雪降りかかる」の句が

読売新聞に入選した。これを機に 家族の協力を得て詩歌の勉強をし

 徐々に「百万人の福音」や「信徒の友」に 入選するようになった。

 

  主が源三さんのために 備えられた選びの器!

『こんな美しい朝に』いのちのことば社の23ページに

「母が心酔していた益田泉師を通じて、無教会の高橋三郎師の聖書集会のテープを

聴くようになった。」と書かれていた。

 

  益田泉という お方?

ネットで調べるうちに、二冊の著書を見つけた。

『祈る シベリヤ女囚』ともしび社

 

「クリスチャンシベリア女囚の手記『わたしの杯』いのちのことば社

 

 「昭和20年、中国の大連でソ連軍の進駐により敗戦を迎えた。占領工場存続の為、

技術者と共に通訳者として、4年間強請残留させられた。

昭和24年帰国出来ると思ったが、スパイ容疑をかけられ、逮捕され

極寒地シベリアで4年間耐えられ、昭和28年帰国された。」

帰国後、その壮絶な体験談を講演され、全国を回られた。

そんな中で源三さんのお母さんと出会われ、源三さんともお会いに

なったのでは・・・

 

『伝道の旅先からの絵ハガキを時折りくれし師も逝きにけり』

 

わたしのしの杯』の巻末に、1957年昭和32年無教会系の全国愛農会の講師として

招かれ、日本農村津々浦々にまで伝道されたとあるので、おそらくこの頃に

高橋三郎さんとの出会いがあったのでは?と思われる。

 

2020年10月 源三さんの妹、林久子さんが

     きの詩人 兄・水野源三の贈り物

    悲しみよ ありがとう  

という、上記題名の家族の物語を出版された。それによると

益田泉さんが坂城に講演に来られ、源三さんのお宅に泊まられた。

その時に高橋三郎さんを紹介されたと書かれていた。 

(益田泉さんも脳性麻痺で片手が不自由な方でした。)

 

高橋三郎という お方!(無教会)

  東大からドイツの大学へ交換留学生として行かれ、ルター研究で博士課程を取得

帰国後、24歳の源三さんとの出会いがあり、源三さんが天に召されるまで23年間

毎週集会テープを送り続けた。主が源三さんに備えられた選びの器である!

源三さんの作品の中にその影響が色濃く見られる!

 

 源三さん44歳の時、(1981年) NHK教育テレビ 宗教の時間で 

「いのちにうた/水野源三の世界」が高橋氏の解説により、放映される

 

 水野源三第三詩集『今あるは神の恵み』 水野源三第四詩集『み国をめざして』は

高橋氏により監修され、発行された。

 

 忘れてはならないもうお一方!

 1975年 榎本保郎牧師が人々の協力を得て

第一詩集『わが恵み汝に足れり』が出版された。

これを機に源三さん作詞の讃美歌のレコードやCD、関連本が多く世に送り出された。

 

そして、

苦難を喜び生きた人水野源三の生涯を描く再現ドラマ

 『瞬きの詩人』とドキュメンタリー『生きる・悲しみよありがとう』のDVDも

作られた。

 

 これらの作品は、源三さんの作品でもあるけれど、ご家族の作品である!

身の周りの世話をした弟さん、母亡きあと詩作のお手伝いをされた義妹さん

二人の姪御さん、皆さんの作品である!

 

そして、

イエス・キリストの御愛によって生まれた作品である‼

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坂城町が建てた歌碑  
場所 上田方面から国道18号を来て(tamati)の信号を右折、JRと立体交差になっている

   坂を下り十字路を右折し10mほど先の右側にあります。