ハレルヤじじいの福音ブログ

ギターの好きなじじいです。

我が国籍は天にあり!幕末から明治初期 日本の国造りに貢献されたフルベッキ宣教師

 

 『我が国籍は天にあり!』

 

 

 

 

フルベッキ写真 hashtag on Twitter

 長崎で欧米の文化、文明を教えたフルベッキ宣教師 

左右にいるのが岩倉具視の二男と三男

前に刀を抱えているのが長州藩に客人となっていた若き

明治天皇とされる人物

 

 

 22歳の時、土木、機械工学を身につけ オランダから

米国に移住 南部で仕事中にコレラに掛かり

九死に一生を得る!

この体験を機に

神と人に仕えるべく 神学校に入る

 

1859年明治元年より8年前!

オランダ改革派の宣教師として長崎に派遣される

 

明治政府に東京に招かれ、学制の起草

外交他の相談、指導などをした。

 

フルベッキ宣教師が欧米視察団構想を提言!

明治4年、岩倉使節団(107名)が派遣された。

この時、 米国には密航し、大学を卒業して神学校で学んでいる新島襄がいた。

新島は通訳者として雇われ休学し、欧米諸国に同行した。)

 

 

岩倉具視だけがちょんまげ姿! 遣欧使節の時の秘話 | ひすとりびあ

     岩倉具視欧米視察団

(先に米国に留学していた息子に、袴は外国人には馴染みがないから

洋装にした方が良いと言われ頭も散切りにした。)

f:id:fuutengg:20210221094421p:plain500円札でお馴染みのお方!

 

 訪問先から、岩倉が時代錯誤のキリシタン禁制の

高札を廃止するよう、電報をうち明治6年に廃止された!

 

 

 明治10年、全ての官職を退きフルベッキ宣教師は

宣教活動を始める。

日本に来てすでに18年が過ぎていた。

この時、フルベッキ宣教師は国籍を失効していた。

オランダには『5年以上在国しない者は国籍を除く』と

いう法があり米国は在留期間が短くて帰化出来なかった。

 日本の近代化の為、貢献されたフルベッキ宣教師!

明治政府は特別に彼と家族に永住権を与えた。

                          勝海舟がお世話をした。)

 

 

 帰化すべき、ほんとうの霊魂の故郷が

どこにあるかを知っていた彼はその時、こう言った!

 

    我が国籍は天にあり!

 

 十字架で人類の贖いを完成され、復活により人類に希望を与えて下さった方、

人としてこの世に来られた神、救い主イエス・キリスト

聖書のことば『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』

信ずる者に天地創造主なる父なるみ神との和解と天国への道を開いて下さった

御子、救い主イエス・キリスト