キリストの福音をラジオで聴きましょう!
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日曜日には礼拝メッセージがラジオで聴けます。
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『メシヤ予言』
紀元前7世紀に書かれたとされています。
その中の53章はキリスト(メシヤ)の予言として
キリスト者に親しまれています。
イザヤ書53章
私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
主の御腕は、だれに現われたのか。
彼は若枝のように芽生え、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちがみとれるような姿もなく、
輝きもなく
私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの(痛みを知る)人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほど さげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、
私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を
彼に負わせた。
彼は痛めつけられたが、
それを忍んで口を開かず、
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは
主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。
十字架で私たちのそむきの罪、私たちの咎を
贖って下さったイエス・キリスト
三日後に復活され
弟子たちに 「平安があなたがたにあるように!」と
言われたイエス
天地創造主の父なる御神への道となり、真理となり、
いのちとなって下さったイエス
昇天され父なる御神の右の座につかれ
私たちのためにとりなしていて下さるイエス
さらに、キリストの御霊(みたま)なる
新約聖書には
イザヤ書53章の予言は
救い主イエス・キリストのことだという
記述であふれています。
このイエス・キリストの救いについての礼拝メッセージが
日曜日の夜にラジオで聞けます。
また、普通の日には聖書のさまざまなお話が聞けます。
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AM1566KHz 全国カバーのAMラジオ放送
夜9:30~10:45
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