ハレルヤじじいの福音ブログ

ギターの好きなじじいです。

スラム伝道


◎韓国のスラム伝道で思い出す 

『暁を呼び覚ます鐘 ソウルのスラムに生きて』の著者
活貧教会の金鎮洪牧師 

韓国では韓国の賀川豊彦言われ、スラムの人々と共に
南陽湾の干拓農地に移住した。
その干拓農地に国際ワークキャンプの一員として
若き日の私が参加させて頂いた。
 まだ、夜間外出禁止令が出ていた頃だった。
日韓の悲しい歴史の残る場所も見学した。
3・1独立記念公園には官憲に抵抗する韓国民衆の
レリーフが多く展示されていた。 また、村の教会堂に
立てこもった村人を官憲が火をつけて焼いてしまった。
戦後、日本の教会の寄付で再建したが その教会堂には
地元の人々は寄り付かないという。
その教会へも行ってきた。






(スラム跡地)
イメージ 2

ある時、住民の一人がどぶ川に身を投げたとの知らせを
受け 金牧師はどぶ川に腰までつかりながら 棒で探した
やがて、目は飛び出て、腹がふくれた遺体がみつかった
きれいな水を買い 遺体を洗い 手続きをとり葬式をした


 金鎮洪牧師はスラムの人々とともに生き、くず拾いをし
生計を立てながら宣教活動をされた。
住民の自立を促し 互いに助け合う組織を作った。
1600世帯が会員となり、開発奉仕隊、信用組合部、
生活安定部、健康管理部、住民教育部などがある。


地域集中伝道運動趣旨文の中で金牧師はこんな事を
書いておられる。  以下抜粋
 住民の生活全般に深く入り込んで推進してきたわれわれの
活動は、いまや住民の積極的な呼応と参与を得るようになった。
 しかしながらここで反省してみるべきは、キリスト教会の
なす全活動の焦点はキリストを伝えることにある という
最も基本的な事実である。この間の体験から感じるように
なったことは、スラムにおける貧困は経済的問題である
以前に精神的な問題であり、一種の疾病であるという
ことである。この貧困という疾病の根本的な治療は
キリストに出会うことによって成し遂げられる。

 

 南陽湾 干拓農地への移住
1976年6月に「梨花里農民の家」の落成式をしているので
おそらく この年に移住したと思われる。
1977年の南陽湾国際ワークキャンプへ私は参加し
この地を訪れた。

(開発されたばかりの農地と住居)
イメージ 1




暁を呼びさます鐘』(ソウルのスラムに生きて)の本の中に
脊椎カリエスに罹った少年が体力がなく手術ができず
2か月待つうちに癒されてしまったことなども書かれている
 
 「金鎮洪の生い立ち」の中に両親は日本におられ金鎮洪は
東京で生まれた、両親はクリスチャンで父は賀川豊彦全集、
山室軍平全集、内村鑑三全集など買って読み、同郷の学生
などの面倒をよくみた、「賀川先生や内村先生の集会には
よくつれて行ってもらった」となつかしそうに話す人が多い
 
 金鎮洪牧師は若き日、大学で哲学を学ぶ。
大学でひとりだけの米国留学生に選ばれる。
帰国すれば 教職の道も開かれる。
しかし、その道に真理は見いだせず、辞退する。
『カントを学んで人生の彷徨が始まり
イエス・キリストに学んで彷徨が終わった。』
著書の中で述べている。
 詳細は
『暁を呼び覚ます鐘 ソウルのスラムに生きて』をお読み下さい。
 ネットで購入できます。